下 沢 隆
埼玉大学名誉教授 jts@msg.biglobe.ne.jp
筆者は去年まで2カ年(通算3カ年)に亘ってインドネシアで“理数教育の改善”を目的としてJICA専門家を勤めたので,その経験を通じて得られた所感を述べてみることにする.
近年我が国のアジアに対する貢献の在り方が論議されるようになり,特に“ハードからソフト”へと叫ばれることが多い.これは橋や建物を造るよりも心の通った中身の問題を重視しようと言うモチーフによるもので,全く同感である.一方で貧困にあえぎ,学校にさえ行かれない子供達を何とか救おうという感傷めいた評論もある.筆者はこのような感傷的な評論には同意できない.何故あのような悲劇が起きたのか,その国の置かれてきた歴史・風土・宗教等様々な観点から実情を把握し,その上でどのような援助が必要になるかを検討すべきであって,善後処置のような“インスタントな援助”には参画したくない.我が国の“開発援助”はとかく“対処療法的な ”色彩が強く,資金を上げても実効が伴わない嫌いがある.援助期間は限られているから,それが終了したとき,その援助を足がかりとして彼等自身が自ら自立して続けられられるかどうか,が問われると思う.「教育援助」は“対処療法”ではなく,当該国の将来に期待する根本的な援助であり,真の援助として優先順位が高いと考えられよう.
しかしその具体策を考えるといろいろ問題が出てくる.以下は筆者の体験から得られた印象記である.
アジア諸国に対する援助に莫大な予算を投じるからには,我が国にもそれなりの見返りが欲しいはずである.例えば我が国の安確保の先行投資とや,資本投下による安価な労働力の確保等が考えられる
ここで,明治維新の頃の“お雇い外国人”の役割を振り返ろう.伝記や論説書を見ると彼等は必ずしも「植民地政策」の実行を目的としてはいない.言ってみれば「宣教師」であり,未開の地日本に新しい欧米文化を伝えることによって”キリスト教精神”の伝道を目的とした節がある.我が国はそういう彼等の真意を知らずに「欧 米文化の吸収」に務め,僅か20年余りで欧米列強の仲間入りをしてしまった.つまり,宗教心なしに結果だけを受け入れてしまったのである.(勿論,新渡戸稲造や内村鑑三のようにお雇い外国人に心酔して立派なキリスト教信者になった人もいる.時代的にアジアの諸国が我が国の明治維新の時代に対応すると仮定すると,今問われて いる我が国の「国際援助」の在り方に我が国の経験が役立つ可能性がある.
1.恩の押しつけにならないように
先方との対応に当たって,そういう意識はないのに,「俺達は金を出すのだから言うことを聞け!」と取られることが多い.無意識に,好意的に言ったつもりでも,先方はそうは取らないから困ったことである.我が国は植民地政策の経験が無く,被占領政策しか体験していないので,つい「命令口調」になるのであろう.「日本 人の国際性の欠如」が問題視されることが多いが,要するに島国で育っている民族だから,“相手の立場に立って相手を尊重する”真摯な態度がとれないからであろう.これは決して「ゴマ擂り」でも「へりくだり」でもない.逆にこちらに誠意があり,人間的にも魅力があれば,先方から尊敬され,「あなたに付いていきます」と言われるに違いない.それはその人の外派遣前の「その人の生き様」と関係している.“あの人は変わっている”とか,“威張り散らかす人だ”というような評判がある人は,海外での援助など出来ない性格と思わなくてはならない.しばしば「日本はダメでも海外があるサ」というが,“窓際族のゴミ捨て場”に海外援助のポストを使うなども っての他である.
2.「教育援助」における先方の要望は何か
ハードの建設の場合は先方の要求は明確であるが,教育援助のようなソフトの場合はかなり根本から考えて対応策をたてなければならない.
「教育」は当然その国の文化に根ざしている.しかし,「教育援助」を「機材援助」という側面からだけに矮小化して要求する場合が多く,我が国もこれまではその種の要求に応える例が多かった.確かに開発途上国の学校で理科の教材が整っているところは希で,先方は“我々はこんな劣悪な環境では理科教育は出来ない”という.ところがいざ機材を提供してもそれを使いこなすことが出来ず機材が搬送されたままで梱包も外さずに山積みになっていることさえある.つまり折角機材が提供されても使い方を知らないのである.それに加えて,機材が入荷してもそれらを動かす電気やガスのような周辺整備が出来ていないのである.これは,子供がオモチャを欲しがるので買ってやると遊ぶのはホンの2,3日で直ぐに興味が無くなるのと似ている.
1.基本的な考え方
筆者はこの可能性を察知して,機材よりも「教師教育」が優先すると考えた.率直に言って,インドネシアの教員の資質はかなり低い.これは教員の社会的な地位が低く,収入も低いので高学歴の教員の数はほとんど半数以下で,理科の実験など経験がない“無資格教員”が半数以上に及ぶ.こういう先生達に立派な教育教材を渡しても使いこなせないのは当然である.プロジェクトの立案段階で,実験機材が何もないので,“機材供与”を提案したことがあったが,機材が来ても“埃を被って倉庫に眠る”のは目に見えていたので,「機材を使いこなせる人材の育成」をするように方針を固めた.具体的には,教員の再教育(in-service Training)と教員養成(pre-service Training )である.
2.プロジェクトの具体案
インドネシアの初等中等学校は教育文化省の「初中教育総局」の担当であり,教員養成は「高等教育局」の所管である.従って,「再教育」は前者,「教員養成」は後者が担当することになるが,プロジェクトは“両者にまたがる”組織になる.組織の異なる二つの「総局」を統合するなど実現の可能性はない.そこで,このプロジ ェクトのために特別に「運営組織委員会」を作ることを提言し了承を得た.これはイ国にとって 大変革であったとい う.
イ国は全国にある10の教員養成大学(IKIPと略称)から5大学を選定してきたが,日本側の用意した予算ではせいぜい3学分しかない.JICA派遣専門家は各IKIPを訪問し,プロジェクトに対する熱意や当該大学の実状を調査し,5候補を3大学に絞ってこれを教育文化省に提言した.後日落とされた2大学から猛烈な 苦情が来たのは言うまでもない.3IKIPは何れもジャワ島内にあって,西部のバンドン,中央のジョグジャカルタ,それと東部のマランである.このうち,バンドンにはこのプロジェクトに対応する建物が無く,ジョグジャとマランは別の基金から建物だけを造っていた.従ってバンドンの建物は日本からの援助金で造ることになるが ,ジャグジャやマランも建物 のリフォームを頼んできたので一応日本政府に予算化を要求した.
必要機材は当然理数教育の教員養成を目的とするものに限る.しかし要求してきた機材リストは,IKIP教員の研究用と思われる高価なものが含まれていた.“この際貰えるものは貰っておこう”という先方の欲張りが見え見えであった.これに対し,こちら側からは,教員養成の目的と,実験の予定を併記して要求するように要 請し,彼等の討議にも参加した.実際には彼等自身実験指導の経験がないので,欧米や日本の実験書からピックアップした実験項目を並べた項目がずらりと並んでいて,カリキュラムとの整合性はないし,実際の教育過程での実施の可能性は危ぶまれた.最終的に,年間の実験時間・履修学生数・実験種目を一覧表化し,それを日本への「 要求機材リスト」とした.信じられないであろうが,この資料作成に要した時間は1年半である.
次にプロジェクトは「人材の交流」を主題としている.まずイ国から我が国への教員研修である.二つのコースがあり,(1)短期で訪問するスキームと(2)学位を取得するまで派遣される“留学生”制度である.第2は日本からの“専門家派遣”で,イ国に滞在してプロジェクトの推進にコミットする.イ国からの研修生受け入 れは実績があって,日本各地でお世話になった例が多い.これまでのところ,研修生は皆満足して訪日・滞日を楽しんだようであるが,引受先をお願いするのに毎回悩んでいる.おそらく,インドネシアからだけではなく,世界各国から千客万来,ある特定の教育現場には連日外国からのお客さんの来訪で,困っておられるのではないだろ うか?
日本からの専門家の派遣事業は,文部省の国際高等教育局の「教育文化交流室」が窓口であるが,インドネシアのこのプロジェクトは,東京学芸大学の理科教育担当・下条隆嗣教授が全てを配慮して人選に当たっておられる.派遣専門家の予算にも限度があるが,今のところ年間5名の枠が確保されている筈である.このプロジェク トは教科上は数学と理科,レベルは小中高教員と現職教員とを含み,且つプロジェクトサイトも3カ所に分散しているので,本来は派遣者数が不足である.
一方で,後述するように,派遣条件(職場・家庭・健康等)を満たせる好都合な専門家はそれほど沢山はおられないし,日本の終身雇用制のお陰で,“現職の儘外国勤務をする”のは容易でない.研修員の受け入れにせよ,専門家の派遣にせよ,我が国の「国際交流」には障害が多すぎる,という印象である.
1.語学について
“日本人は外国語に弱い”のが通説であるが,私はそうは思わない.言葉は“意志の疎通の手段”に過ぎない.外国語の問題を話す前に「あなたは日本人と会話を楽しんでいますか?}とお聞きしたい.日本語でキチンと意志が伝えられなければ,外国語で言えるはずがない. つまり,外国語の不安を心配する前に,まず日本語で意志が上手に伝えられるように訓練する事をお勧めしたい.イ国の場合,言語学的には易しいとされているが,私は通算3年も居たが,日常の挨拶や生活上は別として,イ国語が十分でない.考えてみると,大学の講義や政治的な議論をイ国語でこなすのは不可能だし,誤解も生じやすい.筆者は大部分を英語で済ませていたのは,やむを 得なかったのである.(イ国語は他の外国語と関連がない単語が多いので,単語を記憶しなければならず,それが高齢の私にとってつらかったからである.)熱意があって,滞在わずか3ヶ月で専門の討論もイ国語でこなしたすばらしい派遣専門家もおられる.
2.健康について
イ国は赤道直下の熱帯に位置し,東西 5,000 km の大国である.しかし年中 30℃なのに湿度が低いのでそんなに暑くは感じない.特にバンドンやマランは山岳地帯なので快適である.食べ物には用心した方がよい.生水は絶対に飲まないこと.普段から良く手を洗うこと.日本料理屋は安全だが,生ものも要注意.むしろ交通や電話 など日常生活がスローモーなので,「イライラ」病に注意した方がいい.日本とは違ったストレスを感じ,それが元で病気になることがあるからである.「郷に入っては郷に従え」をモットーとすれば,楽しいイ国(外国)生活 が送れると思う.
現在のように地球が狭くなり,経済的に我が国だけが“いい子”になっているわけには行かない時代にあって,何らかの「国際協力」を実行するのは我が国の責務であろう.筆者の過去の経験を通じて,教育の場の「国際協力」を考えて来たが,最後に「まとめ」として二つの提言をしたい.
1. 国際協力を身近に体験すること.例えば,外国人を街で見かけたとき,もし道に迷っているようだったら { May I help you?} と話しかける.観光旅行で外国に行った時でも,街の学校を見学する.先方は日本を知りたがっているという前提に立って「教育交流」を試みるのである.
2.インドネシアのプロジェクトにご協力をお願いしたい. 昨年の政変以来,インドネシアは「危険な国」という印象があったが,先般の選挙で無事“民主的に”大統領が選ばれ,一応の安定をみたように思われる.インドネシアは,戦前・戦中・戦後を通じて我が国との親交が深い国である.幸いにプロジェクトがこういう経済難 の中にも発足した.この正否は我が国からの「人材供給」に掛かっているといえよう.東チモールや北スマトラのアッチェ,東の端の“西イリアン”では今でも暴動があるらしいが,プロジェクトサイトの3大学の街は平穏になったと聞いている.海外勤務には幾多の障害があろうが,説得すれば道は開けると思う.
是非大勢の方々の応募を期待したいものである.
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